龍馬関連情報

公開日 2009年10月01日

2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」放映決定!
坂本龍馬や中岡慎太郎、三菱の基礎を築いた岩崎弥太郎など、幕末の土佐とゆかりの地をご紹介します。


 

坂本龍馬像(高知市桂浜) 
 昭和3年建立。桂浜に地元の青年達の寄付によって建てられた。本山白雲作。
 太平洋の大海原を臨むこの龍馬像は、「アメリカを向いている」、「室戸岬の中岡慎太郎像と向かい合っている」、との諸説ある。

 

高知県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸城山) 
 桂浜近くの小高い山にあり太平洋を一望できる。龍馬の手紙を中心とした展示や暗殺された際飛び散った血染めの屏風の複製などがある。



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高知城(高知市丸ノ内)
 土佐山内家の居城。1727年城下町の大火で追手門を残し消失したが1753年に再建がなされた。昭和25年の文化財保護法制定により国の重要有形文化財となっている。

 

高知市立龍馬の生まれたまち記念館(高知市上町) 
  龍馬が生まれ育った町に建っている記念館。少年時代から脱藩する青年時代までを映像や音声で紹介。

坂本龍馬生誕地(高知市上町) 
 龍馬が生まれた郷士坂本家屋敷跡。現在は病院や旅館が建っており、電車通り沿いに記念碑がある。

近藤長次郎宅跡(高知市上町)
 近藤長次郎の生家は商家で饅頭を売っており、近所には坂本家が営んでいた才谷屋があった。

吉田東洋記念の碑(高知市追手筋)
 幕末の土佐藩を取り仕切っていた吉田東洋が暗殺された場所。現在、小学校の塀のそばに碑が立つのみ。

武市瑞山(半平太)殉節の地(高知市帯屋町)
 
土佐勤皇党の党首であった武市半平太は藩の体制が変わり捕らえられてしまう。その後、処刑されてしまうが、見事な切腹をしたと伝えられている。



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岡田以蔵の墓(高知市薊野)
 幕末四大人斬りといわれた岡田以蔵の墓。高知インターの近くにあり以蔵の墓の付近には岡田家の墓がある。

和霊神社(高知市神田)
 坂本家の氏神。龍馬が脱藩の際お参りしたとされている。(和霊神社は元は愛媛県宇和島にあり、それを分社したもの)

坂本家墓地(高知市山手町)
 坂本家代々の墓が並んでおり、父八平、兄権平や姉の乙女なども眠っている。

武市半平太墓(高知市吹井)
 武市半平太が住んでいた旧宅の近くにお墓がある。旧宅は現在は他の人が住んでおり、一般公開はされていない。

 

武市半平太道場跡(高知市菜園場【さえんば】) 
 武市半平太が開いていた道場。道場生には中岡慎太郎、岡田以蔵などがいた。現在、碑が横堀公園にあるが実際は30mはなれた場所にあったと思われる。

 

後藤象二郎生誕地(高知市) 
 土佐藩上士であった象二郎は、暗殺された吉田東洋の甥でもあった。土佐勤皇党を捕らえてもいた。しかし、龍馬の「船中八策」を山内容堂に教えるなど龍馬との関係も深い。

板垣退助生誕地(高知市) 
 土佐藩上士。土佐藩の兵を率いて戊辰戦争で活躍した。後に自由民権運動に身を投じる。

山内容堂像(高知市) 
 土佐藩15代藩主。大政奉還を将軍徳川慶喜に建白した。幕末の四賢侯のひとりでもある。

 

中岡慎太郎館・生家跡(北川村柏木)
 中岡慎太郎生家の近くに建てられ、慎太郎の業績を紹介する歴史資料館。1階ではドラマ仕立ての映像とパネル等で慎太郎の生涯と幕末について説明し、2階では慎太郎と幕末の志士たちの遺品や書画などが展示されている。近くには慎太郎の生家を復元した家もある。

 

中岡慎太郎像(室戸市室戸岬)
 上にもあるとおり、慎太郎は室戸市の近くの北川村の出身。像は室戸岬から太平洋を眺めている。龍馬像が慎太郎像を向いているならば、この慎太郎像もやはり龍馬像の方向(高知市桂浜)を向いている!?



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岩崎弥太郎生家(安芸市井ノ口甲)
 岩崎弥太郎、弥之助の兄弟の生家。敷地内の土蔵には三菱のマーク「スリーダイヤモンド」の原型となった岩崎家の家紋三階菱が残っている。 また、庭には日本列島を模して作ったという石組が見られる。

 

岩崎弥太郎像(安芸市矢ノ丸) 
  岩崎弥太郎の像が安芸郵便局前の公園に建っている。



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武市半平太像(須崎市浦ノ内)
 横浪半島の太平洋を望む場所にあり、像の背後には土佐勤皇党の血盟者の名前を彫った碑がある。

 

青山文庫(佐川町甲)
 幕末に活躍し、後に宮内大臣となった田中光顕とその子孫により寄贈されたコレクションや資料などを展示している。坂本龍馬や中岡慎太郎の手紙なども所蔵している。

 

お龍・君枝像(芸西村)
 
龍馬の妻であったお龍とその妹君枝の像。芸西村は君枝が嫁いでおり、お龍も世話になっていた。

 

龍馬歴史館(香南市野市町)
 龍馬の生涯をろう人形で再現。生誕から暗殺までの場面を展示している。

 

脱藩の道(高知市、日高村、佐川町、津野町、梼原町)
 高知市から梼原町に掛けての道。龍馬は1862年3月24日城下を出発し、26日に梼原の韮が峠をぬけ伊予へと脱藩をした。

 

吉村虎太郎像(津野町芳生野)
 土佐脱藩1号であり、天誅組総裁であった吉村虎太郎。町を見下ろす場所に建っている。

 

六志士の墓(梼原町) 
  梼原出身の志士、吉村虎太郎・那須俊平・那須俊吾・前田繁馬・中平龍之介・掛橋和泉の墓。

 

維新の門(梼原町)
 梼原を通って脱藩していった志士たちの銅像が建っている。

宮野々番所跡(梼原町)
 
この番所の裏道を通り龍馬は脱藩して言ったといわれている。



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ジョン万ハウス(土佐清水市)
 海を漂流し、アメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡り、後に日本にアメリカの文化を伝える。これらが龍馬たちにも影響を与えた。その漂流の資料等が展示されている。

 

ジョン万次郎像(土佐清水市)
  
足摺岬に建っており、両手にはコンパスと定規を持っている。



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