四国八十九箇所ヘンロ小屋構想と木の文化を考えるシンポジウム

公開日 2007年12月08日

更新日 2014年03月16日

四国八十九箇所ヘンロ小屋構想と木の文化を考えるシンポジウム

平成15年4月12日(高知県立牧野植物園)

森の市民講座「高知の森林を考える」シリーズ第二弾
四国八十九箇所ヘンロ小屋構想と木の文化を考えるシンポジウム

(パネラー) 
 歌一洋(近畿大学助教授) 
 橋本大二郎(高知県知事) 
 海老塚和秀(竹林寺住職) 
 村上隆夫(国分川の水辺を守る会会長) 
 山下正樹(黒潮実感センター事務局長)
 沖野和賀子(森を守る県民会議)

(コーディネーター)
 塩田正晴(木と人出会い館館長)
 
 日時:平成15年4月12日 
 場所:高知県立牧野植物園
 主催:森を守る県民会議


(塩田)
 それではただ今からフロアディスカッションという形で進めていきたいと思います。みなさんにも途中でトークにも参加していただきたいと思っておりますので、よろしかったらどうぞ。発言は自由にしていただきたいと思っております。

 それでは出席者のみなさんの自己紹介を兼ねてこのヘンロ小屋あるいは木の文化にどんな風に関わっているのかそのあたりから発言をしていただきたいと思います。まず、橋本知事から発言をして頂きたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
 

(橋本)
 みなさんこんにちは。こういうお天気の悪い日に会合が開かれますと、お足元の悪い中みなさんようこそとこういうご挨拶があります。お足元が悪いと言われると橋本が悪いと言われるのではないかと、いつも気になる被害妄想の橋本でございます。

 今、知事という仕事をしておりますので、海のこと、川のこと、山のこと、また教育や福祉、日替わりメニューのようにしていろんな会合にお招きを頂いてお話をさせて頂いております。

 時には、何の会だか分からないのが出てくるような事もあります。今日はちゃんとヘンロ小屋構想と木の文化がテーマだということは分かっておりましたが、私の役割は何かな、位置付けは何かなと考えているうちにこのパネルが始まってしまいました。

 そのヘンロ小屋との関わりでございますが、正直申し上げましてこの構想と取組を知りましたのは、およそ一ヶ月ほど前でございます。というのは、県議会で遍路道を昔の歩き遍路の道を復元したらどうかというご質問がでました。

 その考え方には賛成ですが、昔どおりの遍路道のルートというのは、その多くは国道をはじめ車がびゅんびゅん走る大きな道になっておりますので、それをそのまま忠実に歩ける道にしていくのはなかなか難しいなとお答すると同時に、しかし今、民間の方々の中からヘンロ小屋を造ろうという活動が出てきていて、こういう皆様方と連携をしてそんな民間の動きも支援をしていきたい、なんていう答弁を致しました。

 ですから、せっかくお声がかかったから出てこなくてはいけないなと思って出てまいりましたし、また最初に言いましたようにどういう役割かということ、つまり、県としてまた知事としてどんな風にこのヘンロ小屋の構想に関わっていければいいか、そして木の文化構想はもちろんあるのですけれども、それだけではなくてもう少し広い視野からどういう風に関わっていければいいかとそんなことを今日は勉強も兼ねて来させていただきましたので宜しくお願い致します。
 

(塩田)
 どうもありがとうございました。そういう風に言われますと、とてもいいタイミングで、知事には出席をしていただけたと言えると思います。それでは続いて竹林寺の海老塚住職です。
 

(海老塚)
 みなさんどうもこんにちは。隣りの竹林寺の海老塚でございます。まず今日は基礎的なことでお話を申し上げたいと思います。昭和の30年代後半ぐらいから、バス遍路がはじまりまして、それまでは当然歩き遍路しかなかったわけですが、そしてバスの団体遍路さんがあります。

 ではお接待はどうかといいますと、皆それをしたい、そういう思いがあったのです。しかし、したいと思ってもお遍路さんは自分達の家の前をびゅんびゅんびゅんバスで通って行くから、そういう機会がなくなって徐々にお接待の風習というのが途絶えていきました。それが今、年間20万人以上のお遍路さんが四国を回っております。

 その中で実際歩く方は2500人くらいいて、平均45日?50日かかります。今お話がありました、1400キロです。それを、2500人のみんながぐるぐると回っている、そういう歩きのお遍路さんが増えた上に、お接待という風習も切れずにまた復活をしてきた、そういった形の一番新しい形が、この教科書に書いてあったヘンロ小屋というものがあると思うのです。

 歩きのお遍路さんに何が一番良かったかと尋ねますと、自分の足で体で1400キロの道のりを歩きとおしたことはうれしい。でもそれ以上に一番感激したのは四国の人によるお接待の人情です。こう誰もが言うのです。

 これは日本にいくつかの霊場っていわれるものがあります。近畿の方には西国三十三観音、関東の方に行きますと、秩父、坂東の三十三観音の霊場。でもお接待という風習があるのは、四国だけなのです。

 これは実際今のサービスとかボランティアといいますけども、その原点ですが、実は四国の人々がお遍路さんに対してもてなしたお接待こそが、ボランティアサービスの原点ではないかと思います。その新しい形というのが、こういう形でまた復活してきたことを非常にうれしく思っております。
 

(塩田)
 ありがとうございました。続きまして、村上さんお願いします。
 

(村上)
 国分川の水辺を守る会の村上といいます。国分川、これは四国霊場の中でも4ヶ寺あります。各県に一ヶ所ずつありますが、何でそうした古い歴史があるのに、今更国分川を守らなくてはならないのかなという方がいるかもしれませんけど、平成10年の9月24、25日頃の豪雨で、国分川が氾濫しました。今激特の指定を受けて工事をしています。

 ここでセメント工事をやると水辺に生物が住めないかと、これがまた人間もまた小さな生物ですから、ここに一緒に魚達と遊べるゾーンができればなというので運動をはじめまして、九州方面に福留先生と一緒に川を見に行ったりやったりしているうちに、川だけを触ると上流はどうなっているのかという疑問がわいたり、木をどうかしないと川が荒れていくという風なことも分かってまいりました。

 川の工事の中に随分木を使った部分もあるし、ヘンロ小屋という形で去年の8月の初め、美術館に歌先生が模型を持って来られましたけど、この時に早速行きまして、先生にお目にかかっていろいろお話をしました。

 今日のスライドに最初にでましたが、医大の北側ににある子蓮公民館へ持って帰って、ここで国体の選手達のお接待というか民泊をやったのですが、遍路の方も寄りますけど、また地域の方も寄って一緒にやっていこうではないかと思い、こういう理由で今日は出てまいりました。宜しくお願いします。
 

(塩田)
 ありがとうございました。それでは続きまして山下さんお願いします。
 

(山下)
 山下です。私は昨年の9月から、奈良から高知県幡多の大月町柏島というところに居ります。周辺の島の環境保全と地域おこしということを神田先生達と一緒に手掛けております。

 実は私は昨年の6月30日から退職しまして、お遍路に出ました。36日間で通し遍路を致しました。その時に一番感じたのは、今、歌先生がずっと造ってきておられますヘンロ小屋です。昨年の7月時点で3号まで出来ていました。そのヘンロ小屋に行きますと、私が行ったとき3ヶ所とも大雨だったのです。

 その時小屋には誰もいらっしゃいませんでしたが、私が入りますと、地元の方がどっかからお茶を持ってきてくれたのです。近所の方がずっと見ておられて、お宿を探したら、そうやってお接待をしていただくのです。

 実は私は前職、銀行におりまして、接待が専門だったのですけれども、企業の接待と違って下心がなく、真心がこもっていると思うのです。こういうヘンロ小屋というのは、本当に八十九ヶ所あるいはもっともっとできて遍路さんと地元の方のいろんな交流が深まれば世の中ももっと良くなるのではないかと非常に感激したしだいです。今日はそのお話も後でさせていただきます。よろしくお願いします。
 

(塩田)
 ありがとうございました。それでは最後に沖野さん。
 

(沖野)
 皆さんおはようございます。森を守る県民会議の沖野です。県民会議と歌先生のヘンロ小屋の関わりですけれども、実は、私昨年8月に中央林業事務所の福留君という方からヘンロ小屋がいいので是非見に行って来て下さいと連絡がありました。

 朝一番に会場に行きましたところ、まだ準備中という感じだったのですが、一歩中に入りますとシーンとし水を打ったような雰囲気の中で作品ひとつひとつにスポットライトがあたって、まるで魂が宿っているそんな風な感激を受けました。

 先ほど先生がスライドでお話をされたように作品ひとつひとつに地域の文化や伝統を取りいれて、おまけに全てに木をつかっている、それが、私達が進めている県民会議の取り組みと非常にマッチしていると思いました。こうした建造物が地域にたくさんできることによって県民の皆様に木の良さや温かさ、ぬくもりを直接感じてもらう、そういった運動になると思いました。

 そして、先生とたまたまお話をする機会がありました。先ほど30分ほどお話をしたのですけれども、その時に先生とのお話の中で、すごく私はお節介が好きなので、この先生の為に自分は何をしてあげることができるのだろう、何かしてあげたい、そういった気持ちが頭の中でぐるぐる回りまして、何か県民会議でできたらなーと思っておりました。

 どうしてそう思ったのかなというのは、先生が勧めている心の接待に非常に共感をもてたのです。もう一つあるのですが、それは先生がその時すごく頼りなさそうに見えたものですから、何か私がお節介をやかなければいけないかなという気持ちに強くなりました。

 それで、先生とそうやってお話をしている中で、そのお節介パワーがぐんぐんみなぎってきている時に、2日目なのですけれども、知事が出演されています(ラジオ番組)“大二郎’sワールド”というのがあるのですが、その同窓会がありますというご案内がありました。

 その時に同伴者OKというのがあったのです。私はすぐにヘンロ小屋を持っていこうと思いました。自分の持ち物でもないにもかかわらず、その会場にヘンロ小屋を全部で8個持って行きました。そこで参加された方々が「すごいねー」ということになりまして、一度先生をお招きして先生から直接お話を聞きたいということになりました。それが9月1日でした。

 それでそこに仏様のご慈悲があったのかどうか分かりませんけれども、その一週間後に竹林寺の海老塚住職様のご好意でミニ交流会を行いました。その時のメンバーが今日のパネラーの皆様です。私は基本的にお節介もお接待も人が好きだからできることだと思っています。

 ですから、今日はパネラーの皆様と最後まで心を通じ合ってシンポジウムが成功するようにどうか皆さん最後までお力をお貸し下さい。どうも最後までよろしくお願いします。
 

(塩田)
 どうもありがとうございました。お節介とお接待が一緒だというのは、私も知らなかったのですけれども、確かに共通するところはあるかもしれません。

 今お話しましたように、この模型が23できているそうですが、私のいます“木と人出会い館”は四国森林局内のログハウスにありますが、そこで私は毎日木の家を建てる人達の相談に乗っております。ここもそうなんですけれども、やはり木というのはとても良い感じでそのログハウスに入った時、お客さんも「いやあ、ここは良いですね。」と必ず言われます。

 私も実は1日中そこにいたらとても気分が良いのですが、やはり木の良さというのは、恐らく皆さんも実感をされていると思います。そういう木をつかって、接待をするところとは一致するという、それがこのヘンロ小屋構想ではないかなと思いますけれども、歌先生に話をしていただけなかった、ヘンロ小屋に対する歌先生の気持ちというのをお話いただけれたらなと思います。
 

(歌)
 先ほどあまり話できませんでしたが、私がこういう小屋を造ろうと思いましたきっかけは、大阪へ出まして、建築事務所を24、5年やっておりますが、設計をやっている私のコンセプトは“祈り”ということでございます。

 “祈り”というのは宗教的な意味もありますが、そういう意味合いではなくてもう少し積極的な祈りというので、いつも設計しております。14、5年くらい前からお遍路さんに対してだんだん意識が強まってきましたのは、徳島でよく仕事をしていますので、帰るたびにお遍路さんが国道を歩いているわけです。

 そういう方々を見るたびに、私は畏敬、尊敬の念を持ちます。何かそれが意識にありまして、だんだんお遍路文化が貴重ということが、いろんな意味でよく分かってきます。

 例えば、外国にもよく行っておりますが、四国遍路のように何度も回る循環性を持ち、お接待を持つ文化は世界にまったくないと私は思います。こういう世相でありますし、人と人とのつながり、あるいは風景と人とのつながり、自然と人とのつながりが今ほとんどきれています。それによっていろんな問題が社会的にたくさんでております。

 特に、資源をきってしまうと人間にとっては一番愚かといいますか、それによって人間対人間もきるようになってきました。その分解した部分をまたつなげる、地域と自然をつなぐ風景をつくりたいという思いがだんだん強まってきまして、14、5年前から県とかに言っていましたが、皆様になかなか振り向いてもらえず、それならば私が自分でしようかなと思い、

去年の9月、美術館で発表という大袈裟のものではなくて、模型を23個並べて展示しましたところ、いろんな方々からの反響が大きくてびっくりしたわけですが、その後、たくさんの方々からのご協力や寄附のおかげでやっとできました。

 とにかく、私にとりましては小屋というのは手段です。最終的なつながり、関係性を再構築するといいますか、それを手段としまして、今後いろんなつながりをつくっていければと思いはじめたわけです。
 

(塩田)
 ありがとうございました。このヘンロ小屋というのは全てみなさんのボランティアといいますか、それぞれの自発的な気持ちで造りあげるという考え方に基づいておりますので、県にそれほど負担をかけようというような下心はございません。

 県として今言えるかどうか分かりませんけども、知事個人としてはこの構想自体にどんな感想をお持ちでこれからどういう風になればいいかと考えておりますか。
 

(橋本)
 結論からいえば、県が手をだしたところでろくでもないものになるだろう、行政が手を出さない、公共事業の手が全く入らないということがまず一番大切なことであったと思いますので、こういう八十八ヶ所を活用した、それからお接待の心を活用したという懸案は、僕が知事になってからもいくつかありました。

 例えば、僕が知事になってまもない頃ですが、ある方が八十八ヶ所のお寺と同じように、四国に八十八ヶ所のお茶室を造りたいという計画を持ってこられて、それぞれを然るべき建築家にやっていただいて、添え物を茶道の先生におもてなしをしてもらうような仕組みをという話でした。

 楽しいお話でしたので、ある茶道の家元の関係の方とお話をしたのですが、結局お金がかかりすぎるということ、それからそれができたとしても誰がどうやって維持、管理をし、運営、おもてなしをしていくかということから、結局そのまま立ち切れになっていきました。

 次に出てきたお話は、さっき冒頭にもお話をしましたけれども、四国遍路の道をもう一度整備をしていこうというお話です。これにはいくつかネックがありまして、さっきお話をしたように、昔からのもともとの歩き遍路のルートっていうものが、ほとんどといっていいくらい国道になったり、大きな自動車道になっております。

 ですから、昔の道というコンセプトを大事にすると、なかなか雰囲気のある歩く道を造るのは難しくなるというのがひとつの壁です。それからもうひとつは、それぞれの地域の市町村が、またその地域の方々がその気になっていただかないと、ただ単に県がやってもなかなかうまくいかないという現実的な問題がありますし、それから今お話のきっかけに致しました公共事業ということで言えば、“新四国の道”という事業があります。

 四国の四県でも歩き遍路の道はなんとかみんなでやりたいという話はあるのですが、それぞれの地域事情だとか、県の事情、財政の事情によって、その国の事業を取りいれてやっていこうとするところ、県の単独の事業でやっていこうとするところがあり、なかなか足並みがそろわないという問題があります。

 今度のヘンロ小屋の構想というのは、そういうこれまであったいろんな壁をとりはらったものだと僕は思います。ひとつは、財政的なことでいえば、お金をかけずにみんなが案や知恵を出し合ってやっていこうということですので、県の負担が云々ということよりも現実に広がっていくという意味でまず大切なことだと思います。

 それから、公共事業がはいれば、必ずいろんな一律的な基準にあてはめられるということになりますから、いかにも見ただけで公共事業の手のはいった公園というのは、同じ様な石造りであったり、屋根だったりという状況です。

 しかしコンセプトとして、歌先生のコンセプト、そしてみんながやりたいお接待の気持ちをもっているコンセプトでつくっていくということが、これまでの色んなこういう八十八ヶ所やお遍路さんのコンセプトを活用した提案の中では、最もこれまでのいろんな問題点を克服したというか、そういう壁をとりはらったものではないかと思いますので、とても関心がありますし、僕個人としても知事としても是非関わっていきたいと思っています。

 特に、木の文化圏ということで言えば、木を活かし、木を育て、木に親しむということなんですけれども、もっともっと消費を増やしていきたいという思いと同時に、木というものをもう少しシンボリックにいろいろ扱って、みんなに感じてもらうものを造っていきたい。

 この牧野植物園もそうですし、中芸高校の体育館もそうですし、そういう大きなシンボルということと同時に、この様なお遍路さんのためのヘンロ小屋を木や竹で造っていくということは、その一つ一つが小さくてもそれがつながって循環になることによって、大きなシンボルになるのではないかと期待をしております。
 

(塩田)
 ありがとうございました。このヘンロ小屋というのは、本来はもともとあった接待という伝統的な気持ちから生まれたものなのですが、非常に現代的な意味合いも持つのでないかと思うのです。そのあたりの価値、意味合いを海老塚さんはどんな風に感じられますか。
 

(海老塚)
 接待というのは、歩きのお遍路さんは大変であるからそれを哀れんでやったというのは確かにありました。でもそもそもは、お遍路さんの為にではなくて、接待する自分の為にやったものなのです。それは布施ということでした。

 お布施というのは、そもそも自分のもっているもの、あるいは言葉でもっても思いでもっても、何かすることによってその時だけでも自分が神様のような思いになれ、その時だけでも仏様に近い思いをさしてもらった、自分の心を高めたり深めたりするための布施の修行、あくまでも仏像修行として接待は始められたものです。それが大体の歴史的なことです。

 それからもう一点、私が思うのは、八十八の寺というのは、または八十八の寺を結ぶ遍路道というのは、1200年前に弘法大師が造った大きな舞台装置みたいなものかもしれないと思うのです。今ちょうど、歌先生がそれを手段であったりあるいは方便であると言いましたけれども、今日本人のみならず、海外からもお遍路さんをされに来ます。

 アメリカの二十歳の大学生が来ましたし、オランダからも学生さんがやって来ました。それで宗教とか、国の垣根、国籍などを越えてぐるぐる回って巡っていくと、八十八のお寺、遍路道、その奥にある目に見えない何かというものに気づいたり触れたりするものだと思います。

 だから、大きな舞台装置みたいなものを造って、それを巡ることによって自分で体得する。それは日本人のみならず、外国人もそうだと思います。ですから、八十八ヶ所の遍路道を世界遺産に登録しよう、そういう動きがあるといいますけれども、そういうところからつながってくることもあるのかなと感じます。
 

(塩田)
 ありがとうございました。高知県で次の場所として三つ目はもう決まっているそうですけれども、四番目の候補として、実は先ほどの国分川の水辺、そのあたりが候補地にあがっていて、ヘンロ小屋を造るように一生懸命動いております。そのへんのお気持ちも含めてお話頂けたらと思います。
 

(村上)
 先ほど少し触れましたけれども、29番さん30番さんの歩き遍路の四国の遍路道として、堤防の上を通っていますが、私が子供の頃は、お遍路さんが結構通っていて、当時は先ほど言ったお布施の世界でしたから、おそらく人家の多い方を通った経緯もあったのではないかと思います。

 あるいは、お接待というのはそこで他県の情報を得るために、中には下心をもって「お茶を飲んでいきや」という風な世界もあったのではないかとそういう思いもありますが、国分川の側へ造ることによって、川と親しんでほしいなと思います。

 そこへ木材のチップをしきこんだようなものが出来ていけば、膝にやさしいという道になると思いますし、こういったものが木との関わり、あるいはそこでのヘンロ小屋との関わり、そういったものが広がっていければ、国分川という由緒ある川の名前の川がまた甦ってくるのではないかと思います。何とか目途もたってきた状況ですので、ここ1、2年が役所との交渉の中でのポイントかなと思っておりますので、宜しくお願いします。
 

(塩田)
 可能性としては大分高いと思っておりますか。
 

(村上)
 私は、ここを川の駅ということで、まず図面の位置も場所の確保もできてきましたし、役所の方も積極的になりつつありますのでいい感じになってきたのではないかと思います。
 

(塩田)
 分かりました。ありがとうございました。山下さんが先ほど八十八ヶ所を36日かけて回られたとおっしゃいましたが、非常に早いですのでずいぶん計画を練られたようですけども、その中で全体として高知のお接待なり、あるいはヘンロ小屋が次々と出来てくる意味合いとか、そういったことにも触れて、もう少し詳しい道のりを話していただけたらと思います。
 

(山下)
 実は、私は去年歩いた時の杖を持ってまいりました。皆さんにちょっと見ていただこうと思います。こちらが、2回目のお遍路の準備をしておりますので、昨日竹林寺さんでその為に購入した杖です。そして右手に持っているのが、去年36日かけて歩いてきました杖です。3分の2ぐらい、約40cmくらい減っております。

 特に夏場は非常に乾燥したところで歩きますので、非常に厳しい状況です。その中でこういうヘンロ小屋があって、ちょっと休憩させていただくというのは非常にありがたいものです。一番ひどい時は、熱くてたまりませんから、ペットボトルで15本くらい水を買います。

 山の中や国道沿いには何もないところがあって、半日くらい水が飲めない時もあります。そういうちょっと疲れた時にヘンロ小屋にっていうのがありまして、こうやってちょっと休憩させていただく、あるいは地元の方がちょっと接待していただくというのは非常にありがたいのです。お金の問題ではなく、人は人対人、心対心だと思います。

 私は柏島で地元の方といろんな企業をやっているわけですが、いろんな利害関係もあって中々うまくいきません。その時にいつも思うのは、最後は人対人、心対心、自分が一生懸命すると必ず相手も笑っていただけるというのをこのお遍路で学びました。

 ですから、逆に皆さんも、もしお遍路さんが歩いておられましたら、是非「おつかれさん」ですとか「どっから来たのですか?」とかそういう声をかけていただくだけでも、お遍路の人にとってはものすごい感動なのです。これは日本人が一番忘れている心ではないかと思いますので、お互いがそういう気持ちで接すれば世の中もうまくいくのではないかと思っております。
 

(塩田)
 ありがとうございました。杖があれだけ減るっていうのも驚きだったんですけども、ヘンロ小屋を一生懸命高知でやっているのが沖野さんで、先ほどの話にもありましたけれども、徳島と比べても高知は相当積極的だということですが、そのへんのところを自分の将来の構想も含めて夢を話していただけますか。
 

(沖野)
 夢というので大きくいきたいと思います。道路公団が民営化といったときに、四国に橋は3本いらないよと言っておりました。確かに食事は箸2本です。3本だったら箒になります。

 今年のお正月に経済界の大物の方がいらっしゃいまして、橋を3本もつけたのだから、料金下げろとそしてカジノを造ったらどうかというようなお話があったと思います。

 それはそれでいい考えだと思うのですが、私はやはりそれをもうひとつ四国に住んでいる住人と親しめたらいいと思います。四国にはグリーンツーリズムという自然豊かなところがあり、今、全国的にもちょっとブームになって盛んなんですけれども、

四国っていう枠の中でとらえますと、グリーンツーリズム、エコツーリズムそれから柏島のようなブルーツーリズムそして心のツーリズム、そういったものがあれば尚いいのではないかと思っています。

 その中に歌先生がそういった構想を混ぜ込むことによって、私たちが勧めています森の恵の豊かな循環そういった形へつながっていければと考えております。

 高知県は4月から森林環境税が導入されますけれども、そういったこともやはり行政から言うのではなくて、私達住んでいる四国の住民から四国でつくっていこうという風につながるような運動にこのヘンロ小屋も変わっていけたらいいと思っております。以上です。
 

(塩田)
 はい、ありがとうございました。ご参加の皆さんでヘンロ小屋について何かご意見、ご質問はありませんか。次に建てようという方いらっしゃいますか。
 

(土佐清水の方)
 私は土佐清水の足摺岬の近くで、小さな田舎の集落60軒ぐらいのなかで、ヘンロ小屋という歌先生の大きな計画を知らずにいました。私には82歳の母がいまして、田舎で寂しく老後を孤独に送っておりますが、若い頃はものすごい人好きで保険の外交をやっており、たくさんの人と会って活動をしておりましたが、自然に年をとるといろんな病気にかかり病院にも行ったり、落ちこんだりしておったわけです。

 その中でこの年をとった母親を寝ていても人に会わせてあげて、話をさせてあげたいという気持ちがあった時に歌先生の構想を知りまして、歌先生と連絡を取り、自宅に来ていただき、母とお会いしていただいて、その構想を話していただいたわけです。

 そうすると、母もすごく元気になりお遍路が回るごとに、お遍路さんに話しかけたり言葉でも接待をできるようになって、回復具合を見て道路際に立つようになりました。

 そんなことで今現在ある小さな小屋を先生に診察をしていただきました。また先生に時間があって、次にまた足摺岬の方に順番がくれば、市や県とかの補助も受けずに、ほんとに田舎を回って、足摺岬からその道を通って、その道を帰るところですから、そこで地元の年寄りに接待していただいたり、海をみたり、言葉の接待をしたりそういう小屋ができればと小さな希望ですが、地域の年寄りとお遍路さんの会話のできる場所を造りたいなと思っております。ありがとうございます。
 

(塩田)
 どうもありがとうございました。いろんな発想でできるものだなと感じましたけど、歌先生、これは間もなくできるのでしょうか。
 

(歌)
 いいえ、まだ忙しくて設計ができておりませんが。
 

(塩田)
 では設計はこれからということですね。これが高知県としては3番目になるわけでございますが、ヘンロ小屋がこれからどういう形で、どれくらいの早さで広まっていくのかはまだ分かりませんし、これは皆さん一人一人にも関わってくる問題だろうと思うのですが、ヘンロ小屋と皆さんそれぞれが今やっておられることとの関わりあいでいくと、山下さんは海のお仕事をしてらっしゃるわけですが、木とヘンロ小屋と海という関わりあいにはどんなことが考えられますか。
 

(山下)
 まず、木という観点でいきますと、非常に疲れた時に木に触れるというのは非常に心が安らぐのです。例えば、森の中、あるいは建物、皆さんきれいに地元の木材を使っております。大月町の場合は竹を使っておりました。

 私達日本人にとっては非常に心の安らぎになります。遍路道によっては半日ほど誰にも会わないような道もございますし、一番ひどい時は1日中誰にも会わなかった時もありました。

 その中で森の中とか山を越えていく。一番長いところで約90キロぐらいありますし、2日かけてようやく次のお寺に辿り着くというコースもあります。その中でほんとに気持ちが癒されるというのが木だと思うのです。

 私は今柏島というところで、海の仕事をしております。海も非常に木に関連がございます。柏島は非常に漁業の豊かなところですけれども、木をだんだん切っていくことによって、漁師さんから魚が採れなくなったという発言が非常に多いのです。

 この辺りはどうやって地域と関わっていくか、もちろん木は生産できるものではありませんので、地元の人と生活を一緒にして計画を立てるということが大事なのではないかと思います。
 

(塩田)
 ありがとうございました。川上の話が先ほど出ましたが、川を守る立場から考えて村上さんはどのようにお考えですか。
 

(村上)
 少しヘンロ小屋のお話からはずれますが、先日近所の先輩から“どうだんつつじ”の群生地があると教えていただき、牧野植物園にいました山脇哲臣先生がそこに行って、すごい群生地だと言われた満天星公園に行ったのですが、

ここのつつじは過酷な条件の中で、200年、300年という樹齢の木ですが、もしあそこの山が植林のできるスギ、ヒノキの植えることのできる山であればここは今あのようなつつじはおそらくないと思います。また管理道を造るのに、木を50cm動かしただけで枯れてしまっています。

 しかし、そこの場所で「俺達はがんばっているぞ」みたいなのが、木を見れば分かるのではないかと思います。200年、300年たっているからものすごい木かと思えば、そうではなく直径15cmぐらいの木なのです。そんなところを見ると、世の中人が絶やす部分もあり、守る部分もある。つまり、全部人間が関わってこないといけないと思います。

 山を私達で守っていかないと漁師さんが山を買いだした時代なのです。岩手県でのカキの養殖の話なのですが、以前ある外国の業者の方が日本へ買いつけに来ていて、岩手県の稚貝を持って帰りました。

 その時に漁師さんがそこへついて行ってみますと、日本のように海の中で養殖をやっているのではなくて、いわゆる干潟、潮の干満のところでやっているのです。そこへ川の上流から養分が流れて来る。そしてその漁師さんも日本へ帰って同じようにしました。そういうわけで、これからは私達で山を守っていく必要があるのかと思います。
 

(塩田)
 ありがとうございました。漁業関係者の方に質問なのですが、山との関わりで、現在漁業も大変ですけれども、山への関心っていうのはどんな風に考えていますか。
 

(漁業関係者の方)
 山のもたらす恩恵といえば、水に限っていわれる事例が多いです。昔、台風9号、10号がきたときに、3ヵ年土佐湾は非常に底引きの量が大量でございました。そういった事例をとらえても、山のもたらす生産量というのは、今度は水の方から育まれる微生物の生産量に目を向ける必要があると思います。
 

(塩田)
 ありがとうございました。山の問題は現状がどうなっていて、どう大変なのかがいまひとつ分かってない部分もあると思います。特に、川下で住んでいる私達は、あまりにも山に関心を向けなさすぎたという状況があります。

 県が今度“山の日”を設定して、山についての関心をもっとみんなにもってもらおうという取り組みを始めようとしています。そのへんのところを知事はどのように描いておりますか。
 

(橋本)
 ヘンロ小屋にからめてお話をすれば、何かをやるときに一つのことだけを見るのではなくて、そこからいろんなイメージとかどういう関わりがあるかという風に考え方を膨らましていけるかだと思います。

 海も海だけで独立して存在しているわけではなくて、川がないと海もないでしょうし、そして山があって森林があってそこに生物がいなければ、そこからいろんな栄養分が下りてこない、また魚も生きていけないというふうに関わりがあるのです。

 ですから、今度の森林環境税というのも、単に森林を少しでも手入れをするために、お金を皆様方から出し合っていくということではなく、もちろんそういう事業もあるとは思いますが、そういうことを広く薄く負担をしていただくことで、山のことを考える、そこからあわせて海のことも考える、また飲み水のことも考え、森が果たしている役割などいろんなことを考えるきっかけになればと思います。

 “山の日”というのも単に一日山に行けばということではなくて、そういうことを一つのシンボルとしていろんなことを考えるきっかけになっていただければと思います。ヘンロ小屋も人がたくさんくれば観光に役立ち、県でいえば、観光振興課や商工労働部で、そこに木を使っていただければ、木の文化が進むということで、木の文化担当の森林局だという、建前でしか物が見えなくなります。

 しかし、今清水の方のお話を伺って思いましたが、ヘンロ小屋でお接待をするのは、接待をされる人のためではなくて、情けは人の為ならずと同じように、接待をする人に何が返ってくるかということを考えれば、ヘンロ小屋ができなくてもお接待をする文化が戻ってきたということに生きがいを感じて下されば、お年寄りの方も健康になってきて、医療費の問題などにも跳ね返ってくるという広い視点で、ヘンロ小屋はまたきっかけになっていくのではないかと思います。

 森林環境税も同じなのですが、ヘンロ小屋の取り組みというのも、ただ八十九小屋を造るということだけではなくて、そこからどれだけみんなが自分との関わりとか地域との関わりを広げていけるかということではないかと思います。
 

(塩田)
 ありがとうございました。最後に歌先生にまとめていただきたいと思います。
 

(歌)
 イメージがとても大事で、それによって人は元気に生きていけると思います。例えば私の小屋の場合は、空海のゆかりの地に対して方向性を出したりしているのは、実際は見えないですが、高野山に空海がおられるというイメージをすることによって、人は元気になります。それは物の大きさではなくて、小さくても密度の濃い、いろんな人達が関わりながらイメージを膨らまして元気になっていけるということです。

 行政に関して言いますと、行政にではなくて、まず自分達で出来ることをやっていくことです。特にこの小屋は、空海という偉大な人物が残した非常にチーム性に富んだ、誰でも関わることのできるもので、とても大事なことだと思います。

 それから、ヘンロ小屋にはノートを置いておりますが、ここでひとつだけ読まさせていただきます。「道中のお接待本当にどうもありがとうございます。これがなければ、果たしてここまで歩いてくることができたでしょうか。やはり自分一人で生きていくのではないということをしみじみ実感しました。

 お遍路さんの文化がある限り日本もなかなか捨てたもんじゃない。人の為に何かできるような人間になりたいです」と長野県の方からです。「たくさんのものをありがとうございました。四国の方々の温かいお気持ち、心身ともに健康になっていくのを感じます。

 小屋を提供してくださった野村さん、心から感謝します。自分も社会にとって何らかの形で役に立つように成長したいと思います」など、他にもたくさんありますが、もうひとつ紹介させていただきます。遊びのヘンロ小屋を造ってくださった方の手紙です。

 造ってくださった方にちょっとした記念を私が差し上げましたところ、それに対するお礼状をいただいたのですが、その方の言葉は小屋造りの本質を表しているのではないかと思いますので聞いてください。

 「私はこのヘンロ小屋を建設して人と人の支えあう大切さを、人と人の和の大切さを改めて感じました。人を支えることにより、自分も支えてもらう。この当たり前のことですが、今の世の中に欠けている一番大切なことだと思います」

 このようにたくさんの方々から言葉を頂きますと、私もますますがんばろうという気持ちになってきます。とにかく、私の目的はこのように和が四国全域、あるいは世界全域に広がっていけばいいと思っております。
 

(塩田)
 ありがとうございました。ヘンロ小屋構想というのは歌先生が設計をされますけど、関われば関わっていく人によって変わっていきますので、みなさんも積極的に関わればそれが実現していくことになると思います。

 私も木と人出会い館で家造りのお手伝いをしているのですが、設計者に家をおまかせするのではなく、どういう家を建てたい、こういう暮らしをしたいから私はこうしてほしいと積極的に関わって、一緒に家を造りましょうというような家造りを提案しております。

 おまかせではおもしろくないですし、関わって新たな発見を見つける、そういう風な立場でこのヘンロ小屋構想にも関わっていただいて、ご自分の関われる範囲や気持ちをつかんでいただけたら、その中に積極的な進展があるのではないかと期待をしておりますので、よろしくお願いします。
 時間は短かったですけれども、これで終わりにしたいと思います。皆様どうもありがとうございました。
 


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